した。二階のこの間まで机を置いた方がこの頃は西日で眩ゆいので机は六畳へひっぱって来て、そちらにはベッドを置いております。ピアレスのベッドで三つに折れるの。低くてスプリングもよいから、仕事してくたびれるとそのまま体をよこにする事が出来て大いに能率的であるわけです。つる公も椅子テーブルの方が疲労が少ないから大いにそれでやると云っているが、いつその道具立ては出来ることやら。
私のベッドというと人聞きがよいけれど実は、そのベッドには本式のマトレスはまだついていないのです。普通の敷布団がのっかっているの。この次の小説でマトレスは出来るだろうという次第です。
ドーデエの小さいものが面白かったそうで私はそのお下りをきょうからよみはじめます。私のよんだのは「サフォ」やグリグリというお守りを崇拝しつつひどい寄宿舎で死ぬ哀れな黒坊の小王子の話などです。ドーデエがパリの二十五年間の思い出を書いたのは忘れられず面白い本でした。南フランスから出て来て第一の朝オペラ座の裏の焼鳥屋のようなところで飯をたべる、作家志望の若い貧乏な自分を描いていて、実に情趣ゆたかであった。ドーデエは妻と大変むつまじく暮して、部屋のこちらの端のテーブルについてドウデエが一枚小説をかくと小さい息子がヨチヨチそれをむこうの端にいる母さんのところへもって行って、そうやって仕事をした。そのような思い出が書かれていた。私はよっぽど前によんで、トルストイと妻とのいきさつの正反対の例として、強く印象にのこされました。計らず昨今は、つる公といねちゃんとが、二台連結で、どっちが書いているのか分らないみたいにある時は仕事をしている、その様子を見る光栄を有するけれども。
小説「乳房」の出来については、読んでいただけなくてまことに残念ですが、一寸一口に云えないらしい。鉄兵さんは完璧であるが退屈であるといい、しかし退屈という表現が当っていないと見え、友達たちは退屈とは云わぬ。「進路」でも作者と主人公がくっついていたが、そういうところがあるといね公が云って居ました。直子さんにきょう郵便局のところで会ったら感心しましたと云われ、私は、いろいろ問題があるでしょうがと挨拶せざるを得なかったわけです。季吉さんたちから左向けで突走っているというようなことは半句も云わせなかった点をどうぞ買って下さい。戸坂さんは作品を、生活態度として買ってしまって百パ
前へ
次へ
全21ページ中18ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング