国民学校への過程
宮本百合子

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)駭《おどろ》き

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)[#地付き]〔一九四一年三月〕
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 小学校は六年で卒業と私たちの頭に刻まれていた観念は、国民学校になると、八年制に改まる。毎年小学校を卒業する子供たちの数は随分夥しいもので、昭和十四年度には凡そ二百三十七万人余であった。これは尋常科高等科卒業と高等一年修了の児童たちを総括しての数である。
 八年制はつまり現在の高等二年修了と同じになるのだろうから、日本の民衆の一般の智能の水準は、それに準じて向上されるという期待が持たれていいのだろう。国土の面積に比べて日本は鉄道網の発達していることと、小学校のどっさりあることでは世界屈指であった。八年制によって、その質が高められようとするのだろう。
 事変以来、様々の勤労の場面に小学校の卒業生の求められている勢は殆どすさまじいばかりで、三月末の日曜日、東京の各駅には地方から先生に引率された「産業豆戦士」が、行李だの鞄だのを手に手に提げて、無言の裡に駭《おどろ》きの目を瞠りながら続々と到着して来る。そんな情景も、日本の新しい時代の姿であると思う。
 それらの子供たちが、一年東京に働いた後に健康を害する率の多いことは、既に一般から重大な関心をもって視られているし、工場や雇われ先での明け暮れに稚い若い心の糧の欠乏していることの害悪も、やはり人々を憂えさせている事実である。
 昭和十四年には、その春小学校を卒業した子供たちの三九パーセントがそれぞれ就職している。九十二万五千九百五十五人という少年少女が、労働の給源となった。それでさえ、求人の四割を充しただけで、公の職業紹介によらない斡旋屋は、小学生一人について三十円の手数料さえむさぼったと記録されている。
 八年制の国民学校を卒業した少年少女たちは、やっぱりそのようにして勤労の生活に入ってゆくのであろうが、その需要に即してみれば、六年を終っただけの子供より働く少年少女としての肉体と精神との能力は、余程高められているわけになるのは明白である。使う人はその高められた能力を一杯につかうだろう。
 小学校を出たばかりの子供と、高等科を終った子供とでは今日貰っている給料がちがう。国民学校を卒業して就職する何十万かの少年少女は、
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