であった。

 五月十五日の夕方、三四度ドカドカと大勢して裏階子《うらばしご》をかけ上る跫音《あしおと》が留置場まで聞えた。それきり何のこともない。
 すると、次の朝、無銭飲食で二十日つけられている髪の毛ののびた雑役が、鉄扉の小さい切り戸から弁当を入れてくれながら、
「犬養がやられた」
と云って去った。――犬養がやられた。……犬養は首相である。何処で? いつ? 反動団体の仕業であるのはすぐ感じられた。味噌汁をついで呉れている間にこちらから訊いた。
「どこで?」
「官邸。……軍人だって」
「ふーむ」
 犬養暗殺のニュースは、私に重く、暗く、鋭い情勢を感じさせた。閃光のように、刑務所や警察の留置場で闘っている同志たちのこと、更に知られざる無数の革命的労働者・農民のことが思われた。
 十六日留置場の看守は交代せず、話しかけられるのを防ぐつもりか、小テーブルに突伏して居眠りばかりしていた。
 数日経って特高へ出されると、主任が、
「どうです!」
と、煙草のヤニのついた歯を出してにやにやした。
「ききましたか?」
「……犬養さんが殺されたって?」
「何しろ、撃てッ! と号令をかけてやったんだそう
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