手脚には嘗て知らなかった愉しい活力が漲り、瞳は輝き、天は彼女の上で新しくなったようであった。朝、鏡に向って自分の僅の美しさ愛らしさにでも心附いたのは、このときが初めてなのである。
完く、おもんは、やっと咲いた一本の可憐な花のように見えた。娘の美しさなどに日頃無頓着な老夫人さえ、
「お前は、こっちが合うと見えるね。色が白くおなりだよ」
といった。僅三十時間足らずの汽車の旅行は、見えない力ですっかり彼女を換えた。ひとなら、十六七で覚えるだろう心の晴やかさ、身も魂もすがすがとする清らかな華やかさを、おもんは今になって知ったのである。
全然最初の計画には無かったおもんの縁談が、偶然持上ったのは、丁度この旅行中のことであった。
元、老夫人の実家に出入りしていた者がおもんを見、息子の嫁になってはくれまいかと相談を進めて来たのがそもそもの始まりである。老夫人は、旅先の気軽さで、快よく賛成した。そして、幾分若やいだ親切心で、おもんには教えず、一緒に或る祭り見物に出かけて、先方の息子にそれとなく当人を見せたりした。先の津田という男は、会社の相当な事務員である。身分も決して不釣合とはいわれない。それどころか、彼女の境遇としては又ない良縁として、老夫人は、ことの意外さに怖気《おじけ》づくおもんを励まし、帰京早々両親にそのことを伝えたのである。
この春ふた月は、おもんの一生の春であった。
不図、瑠璃《るり》色に澄み輝いている空を見あげたり、眩ゆいように白い、庭の木蓮の花などを眺めると、何をしていても、彼女は苦しいほど鋭い幸福の予感に襲われることがあった。
夜、枕につくと、先のように張合もない睡りがどんより瞼を圧えることはなくなった。頭の中は千の燭台を灯したように煌《かがや》き、捕えられない種々の思いが、次から次へと舞い交した、寝る時にも、起きる時にも、第一おもんの頭に浮ぶのは、どうぞ継母が、異存なく今度のことを承知してくれるようにという、願いである。
父の真吉は手紙を受とると、早速かけつけて来、涙を泛べて悦んだ。そして、心から、
「これからは、おかげさまで、可哀そうに、こいつの運も開けましょう」
といった。継母の意見には当らず触らずにしていた彼は、老夫人に念を押されると、
「異存のある道理はございません。何、あいつなんか」と、言葉を濁した。
「それはそうともね。娘の仕合になる
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