モニュメントともなるだろう。
ひとは 只一ひらの紙を見る。
然し 何たる命があるか
よき友わたしばかりは
神秘な おまえの息ぶきを感じるのだ。
*
心が沈み 希望が色あせた時
よき友、お前はその点々の線から
サファイヤのような耀きを燦めかせて
私の心を 鼓舞して呉れ。
お前の裡には
慕しい我北国の田園も
日に戦ぐユーカリの葉もある。
野に還し、不思議な清澄への我ノスタルジアを癒して呉れるのは
お前の
見えない心の扉ばかりだ。
無限の世界の上に
ただ ひとひら
軽く ふわりと とどまって居るお前
耳を澄せば 万物の声が聴える
眼《まなこ》をきよめれば 宇宙があらわれる
畏ろしい 而も 謙譲なお前
紙と呼ばれて
ねんごろに 日を照り返すのだ。
五月二十九日
わが心 素朴な 原始に還り
一目で、ものの しんを掴みたく思う。
現代の 複雑さ、未来派や耽美派やソシアリストや
皆、生命の ワン グリムプスを奉じて居ると思う。
生命の本源、生存の真髄は
決して、ナレッジで啓かれ、触れられると思わない。
大なる直覚、赤児のような透視
無二無私に 瞳を放つ処に
真の根源があると思う。
我等は、教育の概念にあやまたれ
社会人の 才に煩わされ
ホメロスの如き 太古の本心を失った。
何処までも 繊細に 何処までも 鋭く
而も大らかに 生命の光輝を保つことこそ
人間は、芸術は
甲斐ある 精神の果実だ。
其処に 日が照り 香気がちり
朽ちても 大地に種を落す
命の ひきつぎて となり得るのだ。
私は、謙譲な 一人の侍女
それ等の果物を一つ一つ
みのるがまま、色づくがまま
捧げて 神に供える。
朝 園を見まわり
身体を浄め
心 裸身で
大理石の 祭壇に ぬかずく。
或時は 常春藤の籠《こ》にもり
或時は 石蝋の壺に納め
心 はるばると、祈りを捧げる
神よ、四時の ささやかな人間の寄進を
納め給え、と。
冬見た私を、今日同じ私だと思うだろうか?
又、雄々しい活力が、今私の心を揺る、
サムソンのように、
殿堂の柱に、今手をかけたサムソンのように
神の命あれば
山をも移す 信仰が
野に来、自然に戻った私の胸に満つるのだ。
草の戦ぎ! ひたと我下にある大地
ああ、よい 初夏よ
私は 母の懐 野天に帰り
心安らかに
生命の滋液を吸う
胡坐を組み
只管《ひたすら》
イスラエルの民のように
父なる天に溶け入るのだ。
文明人
可笑しな 文明人
何故 あの人々は
アラビヤ人のように胡坐を組んで坐らないのでしょう?
胡坐はよい。
わが 小さい体の下にも
強い大地があるを感じ
空は 猶高く、仰がれる。
草を見るのに
窮屈にかがますと
首を延し、自分の仲間で茎を見られる。
地を這う小虫も
麗しい五月の 地苔《こけ》も
皆、すぐ 体の囲りで
ささやかな 生を営むのだ。
高く 高く 安定のない魂は寂しい。
救われる道がなく寥しい。
空は円く高く 地は低く凹凸を持ち
人は、頭を程よい空間に保って
はじめて
二つの心が、謙虚な霊を貫くのだ。
心
自由に 自由に
何処までも 行こうとする心。
十三の少年のように
好奇に満ち、精力に満ち
野蛮な わが心。
しとやかな女と云う
仮の区別は私を困らせる。
妻と云う
奇妙なさだめは、私に溜息をさせ、笑わせる。
光りのように閃めき、跳び 貫こうとする我心
本体は我にさえ解らず
間抜けた侍女のように
いつもあとから「我《が》」が
実質の 影を追うのだ。
鶏
裏の小屋の鶏
真昼 けたたましい声をあげる。
昨日も、おとといも 又さきおとといも
私は部屋から声をきいた。
然し、何と云う いやな音。
雀は勿論 彼等は電車より厭な声を出す。
濁り、限られ、さも苦しそうに
あとから あとから
ケッケッケッケッ、コキーケッケッ
と叫ぶのだ。
風が吹くのに
空は碧いのに
あの声ばかりは 繩で縛られ身を※[#「足+宛」、第3水準1−92−36]くようだ。
新らしい卵を産んだと云うのに
朗らかな歌も歌えない鳥類――
若しや――人間に飼われ 飛ぶ空もなく
卵はあとから盗まれるので
彼那 不快な心になったのか?
若しそうならば――……
ああ、あわれ あわれ
彼等は 野禽の昔さえ
憶い出さないか?
*
大空は からりと 透きとおり
風がそよぎ
薔薇は咲き匂う
今はよい 五月だ。
されど、又来る冬を思うと
私の心は、悲しくなる
子供に、夕方が来るように。
あの 寒さ
憐れな木の家の中で 凍る頭や指先
丸くちぢまり 呼もせず
すくんで暮す 朝夕を思うと
出来るなら 黄金の 壺に
此 初夏の輝きを 貯えたく思う。
胸に抱けば 暖かろう
蓋をすかし そっと覗けば 眼も耀こう
愉
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