はない。然し、農村の集団化とは結びついてはいない。
(三)「貧農組合」は農村における集団農場化のために少なからぬ害を与えるが、ためになるところはない。この小説には成っていない集団農場が書かれている。
(四)農村というものが、不充分に、ボンヤリ拵えものに書かれている。
――○――
ソヴェトの農民が、ソヴェトの農民小説に加えた批評だからと云って、それがいつも絶対に正しいものばかりだとはきまらない。
この「五月の朝」コンムーナの連中は、例えばエセーニンの詩にはコロリと参っている。エセーニンの詩集は村にいる本だ。素敵なもんだと「母への手紙」というエセーニンの詩がよまれた時に衆議一決している。だが、果して詩人エセーニンは、このコンムーナの一同が武器を揃えて、パンフョーロフが正しく描写しなかったとして攻撃している農村の集団化について、社会主義的な見方を持っていただろうか?
エセーニンは、根本的に反対な見解をもっていた。エセーニンは、集団農場化の第一歩である農業の機械化にさえ先ず命がけで反対した詩人である。
ソヴェトのプロレタリア文学、農民文学にとって農民の批評が参考に
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