頭を振れば、農民作家はそれをそれとしてその農民の枠内でだけ把握し描写し、一歩突き進んで、ロシアの歴代の農民はなぜツルゲーニェフやトルストイ時代、農業機械をきらって来たか、その同じ機械ぎらいが、ソヴェト権力の下でさえも猶農業機械に対して排他的であり、ガンコであることは、どういうことを意味するかという、階級的根源にまでは触れて行こうとしない。
一八六一年の農奴解放で一杯くったロシアの貧農は、生存権を守るために「旦那」に対して全く懐疑的にならずにいられなかった。二十世紀初頭に、ロシアの地主は搾取の面から、おくれたロシアの農場の資本主義経営、労働の合理化を考えて、農場へドイツやイギリスの耕作機械を買いこんだ。
農民たちは、脱いだ帽子を手にもって地主の前へ並び、農業機械を驚きの目で見つめた。指でさわって見た。或は暫く使って見た。が、元の鋤へ逆転してもうどうしてもその原始的な器具をはなさず、「復活」に描かれているように地主トルストイを歎息させたのは何故であったろうか?
大地主とその支配人の首枷の下で、農民は、耕作機が彼等を幸福にする道具ではないことを、本能でかぎつけた。彼等は、それを、支配者
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