れているこういうコムソモール、労農通信員の創造力を正しく芸術活動へ導くことにある。人為的な作家の産業別わりあては、或る種のオッチョコチョイな作家が工場から工場へと鉛筆をもって飛びまわるという厄介を減らすかもしれない。然し優秀な、拡大力のある作家の芸術活動に題材の固定化を起させるという危険がある。
さらに、芸術はその特殊性によって、石炭を掘り出すためにきめられた生産経済計画《プロフィンプラン》に従って生産されるということだけでは決して、作品の価値を高め得るものではない。
文学的作品は新聞記事ではない。主題の強化、題材の蓄積、整理、筋の組立て。それらのためには時間がいる。
文学はその点で、特に小説は、絵画と非常に違う。現に五ヵ年計画第二年目の一九三〇年に見ても、絵画には既に相当五ヵ年計画がもりこまれている。戯曲も、農村の集団化と都会の工場労働者との結合を主題にしたものがいくつか現れた。然し、一九三〇年度に出版された小説では、工場農村からの報告以外に、まだ五ヵ年計画は十分主題としてこなされていない。出版され、好評のあった小説は多く五ヵ年計画以前に書かれたものであった。無名な若い作者の生
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