。場合によってはモスクワへたのんで来る。そこで、画家は絵具箱をもって工場へと出かけて行く。
 だが、画家たちは、構図をきめるにしろ、先ずソヴェト・フォード工場の生産的活動とその革命的意義とを十分理解しなければならぬ。その工場でウダールニクはどんな階級闘争の歴史をもって組織され、成員はどんな連中であるかを知らないで、そこの労働者クラブを飾る壁画、見るものを鼓舞するような絵は描けない。
 芸術家と勤労者とは手にもっている道具の違うことについて新しい自覚をもたざるを得なくなった。画家は労働者と同じものを食べ、その職場で、率直な批判や要求の中にあって、製作する機会が非常に多くなって来た。
 このことは作家についても同じであった。例えば或る作家が同じニージュニ・ノヴゴロドのソヴェト・フォード工場へ、文学ウダールニクの一員としてやって来たとする。
 彼は、労働者の集会に列席し、職場大会に出席し、ときには大通りの「茶飲所《チャイナヤ》」やビヤホールの群集の中にまじりこんで、一般労働者の仲間の雑談をもきく。そして、彼の見聞を記録するとしても、その作家が、ソヴェト・フォード工場の建てられた社会的意義を、
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