ヴィキだ。その男が、亡妻の妹の裸の胸を見て、煩悶しはじめる。それはあり得ることとして、その男がそれほどクドクドとこまかく、根ほり葉ほりその性的刺戟をめぐって心理穿鑿をやる。果してそれはボルシェヴィキらしい生活態度と云えようか。
息子のピオニェールが父親に対して批判をもっている。だが、その描写の自然主義的なテンポは、現代の活きて、働いて、歩きつつ思索する彼等の生活力を表現しているであろうか?
「英雄の誕生」が、大衆によっていろいろに吟味されつつある間に、再びソヴェトでは春の種蒔時が迫って来た。一九三〇年だ。
『プラウダ』は「種」の準備、農業機械中央部《トラクターツェントル》への注意、五ヵ年計画第二年目の蒔つけ地積拡大予定計画などを次々に発表した。
『文学新聞』(ソヴェト作家団体連盟の機関紙)は、作家の農村への見学団募集をしはじめた。芸術ウダールニクを組織する必要をその社説に発表した。
ソヴェト市民は、映画のスクリーンの上に見た、まだ雪が真白にのこっている早春の曠野で、疎らな人かげが働いているのを。測量器をかついで深い雪をこぎ、新しい集団農場の下ごしらえのために働いているコムソモールを
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