ソヴェト木版画家を出している。一九三〇年の春はウィーンその他でウクライナ美術展覧会をやった。
このウクライナ地方が革命までどんな扱いをうけていたかと云えば、大ロシアの支配者たちによって半植民地とされていた。ウクライナ地方の自国語で書くことは許されず、軍隊の中でさえ「ハホール」と呼んで侮辱的扱いをうけた。
社会主義の社会で民族は真の意味で自立し、新しい生産と文化とが結びつきながら高揚し、調和しあうものとして動きはじめている。ハリコフ市はそういう点から一つの新しい民族首都である。ここを選んで国際的な革命作家の会議が行われたことは輝かしい。
会議は十一月六日から十五日まで続いた。二十二人の資本主義国、植民地、半植民地から革命的作家が集った。
代表によって各国におけるプロレタリア文学運動についての詳細な報告がされ、批判された。そして、革命的作家は益々切迫するブルジョア経済の行き詰りとともにファッショ化する権力の文化抑圧と如何に闘うべきか。これも亦各国の事情を参照して決議された。日本からは、松山、永田という二人の同志が出席した。
(ハリコフ会議における日本についての決議は『ナップ』一九三
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