うになって来たのであった。
――危険な時期が、ソヴェトの作家と読者との上にのしかかって来た。
過去の所謂文学趣味に毒されていない、溌溂たる新興プロレタリアートは「十月」とともに輩出した作家たちの書くものに、無条件に満足してはいない。真にもっと新しいもの、ほんとうに自分たちの毎日の生活を再現したものを熱烈に要求している。だが、作家たちの生活は、果してその大衆的な要求を満すに適当な条件のもとに営まれているであろうか?
そうでないことは、否定し難い事実であった。
第一、革命の当時は、即ち彼等が第一作を書いたときは、彼等はまだほとんど作家ではなかった。或る者は農村で、或る者は都会で、何か生産的な集団の中に目立たぬ一員として参加し、革命の歩みとともに毎日歩いたり働いたりしていた。十一年目に、はっきりめいめいの職場がわかれた。彼はもう専門的な作家で、昔の農村委員会時代の書記ではない。従って彼がその周囲にもっている集団は昔日の大衆ではなく、主としてかぎられた文学的集団になって来ている。
文学の主題としての、国内戦は、記録文学《ドクメンタリーヌイ》の時代をすぎて既に革命の歴史的観点から、丸彫
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