た富農撲滅、農村の「十月」が、ソヴェトの社会主義社会建設史の頁に輝く時、その陰にかくれた農村通信員の革命的功績は決して只忘られるものではない。
活動的な農村通信員達は、村の図書館について、「民衆の家」の文学研究会について、いろんな報告を送ってよこす。
だが、それは大抵、農村通信員各個人個人の意見で書かれたものである。例えば、俺の村の「民衆の家」は折角「赤い隅」をもっていながら、今年の前四分の一半期には一冊も新しい本を買わなかった。国立出版所は、新刊書の配布網についてもっと研究するべきだ。そういうことは書いて来る。しかし、村の人々はどういう小説を読みたがっているか、またどの小説に対してどういう風に大衆的に批評したかというような綜合的な報告は概してすくない。自分は何々を読んだ。だが、作者は果して村の生活をよく知ってるのだろうか? 云々。そういうのはよく見かける。けれども、五人なり十人なりの農民が集団的に与えた作品評というものは、これまで殆ど見当らなかった。
ところが、一九三〇年一つの興味ある本が国立出版所から出た。それは、アー・エム・トポーロフという男の仕事である。
モスクワから五千キロメートル離れたシベリアのコシヒ・バルナウーリスキー地方に「五月の朝」という共産農場《コンムーナ》がある。そういう農場では、生産、利潤の分配すべてを共有に、共産主義的にやって行く農場経営の形だ。
そのコンムーナに小学校がある。数本の白樺と檜の樹にかこまれた丸太づくりの小さい学校だ。が、そこに一人の精力的な教師が働いている。一九一七年までその教師は近所の村の教区学校の教師をしていた。コンムーナが出来るとそこの学校で教えはじめた。ガッチリした四十がらみの男で、ツルの曲った粗末な眼鏡をかけ、時によると、校舎の外の草っ原へ机と腰かけをもち出し、コンムーナ員の誰かをつかまえ、何かをきいてはそれを紙きれに書きつけている姿が見える。「五月の朝」の人々は、だんだんそういう光景を見ることに馴れた。更に一つの、事実にも馴れた。それはコンムーナの一日の仕事が終ると、殆ど毎晩小さい丸太小舎の小学校で文学朗読会があるということだ。
工場の文学研究会みたいに、みんなが家で小説をよんで来て、意見を話し合うというのではない。七つ八つの子供から七十近い爺さん婆さんまで、
「そろそろまた本読みさ行くか」
と、やっ
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