とだけ云いすてる人はないだろう。
 民主革命の長い広い過程を思えば、その課題の必然にしたがって文学はますます批評家の好みによって点づけされたり、文学流派の堰によってあちらとこちらとせきわけられるものでもなくなってきつつあると思う。一人の作家が一寸背丈を高くするために、一寸だけ他の誰かをおしつけてよいものでもないと思う。文学は、大いに研究されるべきものとなってきていると思う。歴史の意志をうつす能力としての才能についても、今日科学者の能力が人類の幸福の助けとなるべきものとして評価されていることがまちがいでないならば、どうして文学の才能だけが病的であったり、自己破滅的であったりすることを納得できよう。文学の才能だけは、アルコールの中毒くさかったり、病理的な非情のするどさでもてはやされたりする畸型的な面白がられかたは、文学そのものの恥だと思う。若い作家三島由紀夫の才能の豊かさ、するどさが一九四九年の概括の中にふれられていた。この能才な青年作家は、おそらくもうすでに、彼の才能のするどさ、みずぎわだったあざやかさというものは、いってみれば彼の才能の刃《は》ですっぱり切ることのできる種類のものしか切
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