過去二三年のうちに新しく職場から生れて来た若い作家たちのある人々は「自分がいまかきたいことと、書かなければならないこと」との間にある、実感の不調和に苦しんだ。そのひと一人一人としての労働者、および作家の成長の過程で、今すぐにもかきたいことは、労働者作家としてストライキを書かないということはあり得ないとされる「書かなければならないこと」と一致しない。ストライキの時代には、ひまがなくて、その人として書きたいと思いながら書けずにいたことを今書こうとする時間をもてば、もう一般情勢は中国革命の達成、労働者の主導的任務の強調におかれている、そのくいちがいもある。また一九四六―七年にかけて労働者階級によって経験された広汎な闘争が、前述のような戦争中の階級意識の剥奪をとりかえすために十分な政治教育が間に合わなかったために、経済主義的にならざるを得なかった。社会の生きた関係の微妙さは、一九四五年冬以後は共産党が勤労人民の合法政党として公然と存在し、組合内の党細胞の活動が自由であったけれども、一方、労働者の自主的な階級政治への認識や経験が失われているという戦後的条件と結びついて、職場の大規模な闘争は、必ず
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