活動家とサークル員の側からの対立感情が醸成されたことである。「人民的リアリズム」論に無批判だった文学サークルの一部は、文化活動にしたがう一部の人々とともに、人民的リアリズム論者そのものをふくめて、いわゆる専門作家とその作品への無根拠な否定に従事した。一九四八年の日本民主主義文化連盟第二回「文化の会」および、ひきつづいてもたれた新日本文学会第四回大会は、この種の傾向のひとり舞台の観があった。そこでは作家・評論家によって、文化・文学について具体的な討議がされるよりも、特殊な、文化活動家と名づけられる人々の、その人たちの理解での政治的発言が圧倒した。
これは、明らかに普通でない空気であった。まじめに文化・文学の運動にしたがい、創作もして行こうとしている人々は、民主主義文化・文学運動の内をかき乱している不安、無規準、得たいのしれない政治性[#「政治性」に傍点]に影響されて、自分たちの活動の基準をどこにおいたら、たたかれないで育つことができるのかを思い迷うこころもちにもおかれた。
一九四九年に、職場の労働者作家は、ストライキをかけ、職場の作家の指導力が発揮されなければならないと云われたとき、
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