老人がほんとに云いたいのは、宝石売のことなどではないのを知っていた。彼は「どうなされた、さあ、気を引立てて」と、囁かれるのを感じた。宝石売などは、自分を滅入らせる一方の独居から引出そうとする口実にすぎない。スーラーブはその心をなつかしく感じた。彼は、
「行って会おう」
と云わずにはいられなかった。
「先刻食物を与え、休息させてございます」
「…………」
 スーラーブは立上った。そして何処となく乾いた樫の葉と獣皮との匂が、混って漂っているようなシャラフシャーの身辺近く向き変る拍子に、彼は、自分の心にかかっている総てのことを、あらいざらい云ってしまいたいような、突然の慾望に駆られた。
 スーラーブは、我知らず、シャラフシャーの、厚い、稍前屈みになった肩に手をかけた。が、何とも云えない羞しさが、彼の口を緘《とざ》した。自分とひとの耳に聞える声に出して「ルスタム」と云うことすら、容易なことではなく感じられる。階段の降り口に来ると、スーラーブはそのまま黙ってシャラフシャーの肩から手を離し、先に立って段々を降りた。
 宝石売の男は、広間の隅に、脚を組んで坐っていた。向い側の垂帳が動き、スーラーブと
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