冴えない、うんざりした気持で、イランの陣へ戻った。
三十三
夜が白々明け始ると、ツランの陣では、彼方此方から、鳥が塒《ねぐら》を立つような、小さい活気あるざわめきが起った。二人の兵卒が、前晩喋り込んで一緒に眠った仲間の処から自分達の部隊につくため、高地を北から南の方へ歩いて来た。軽い風が東雲《しののめ》の空から吹き、明け切らない草の露が、彼等の足を、ぬらした。上天気になるらしい。日が昇りきれば、今朝は始めてイラン軍との手合せがあるので、二人の兵は、申し合せたように、遠い眼界の中にぼんやり並んでいる敵陣の天幕を眺めた。高地のかげがずっとのびて、彼方にはまだ重い夜が這っているようであった。すると、一人が仲間の胴をつき、「おい、あれは何だ?」と訝かしそうに、高地の斜面の一点をば指した。何か黒い平たいものの形が見える。二人は暫く見ていてから、そろそろ其方に向って降りて行った。近くまで来てそれが何かとわかると彼等は愕いた眼を突き出して顔を見合せた。スーラーブの扈従《こしゅう》の一人に違いない少年が、何かにたたきのめされたように硬張って死んでいる。二人は、速足に高地を引かえした。そして、伍長を案内して来た。話をききつけた者は、皆ぞろぞろ後をついて来、死体を見ると、目を瞠って、彼等の命令者の顔を見つめた。皆は、僅か十六のガワが、どうして夜の間にこんな処でたおれたか、訳がわからなかった。何処にも傷が見えなかった。彼は病気だったのか。何かの悪鬼が陣地で一番若い彼を狙って生霊を喰ったのではないか。がやがやしているところへ、スーラーブの姿が見えた。兵等は円くかたまった輪の一部を開いて、スーラーブを中に入れた。伍長は、切口上で、二人の卒がこうなっているガワを発見したことを報告した。
スーラーブの顔は著しく蒼かった。彼は、その噂をきくと、すぐ陣中に侵入者のあったことを直覚した。自分が何も知らずに眠っていたことや、その他まるで防備のなかったに等しい夜中のことを考えると、寒い恐怖が背筋を走るのを覚えた。それほど大胆な敵があったのに、自分の生命が完了されたのは寧ろ奇蹟のようにさえ思われる。彼は屍の傍に跪《ひざまず》き、細かに検べた。何のためにガワが此処迄出て来たのか、それは彼にもわからなかったが、何かで打たれたのは、耳の中に出血しているので確かであった。彼は眼敏くガワの帯革
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