ルスタムは知っていた。彼は、サアンガンにわざわざ使者をやり、子供の誕生の有無を確めさせた。サアンガンの王女は自ら、母とならなかったことをその使に托して告げて来た事実があった。それだのに、猶このようなはかない妄想を抱くというのは。
「さて――自分はそれほど寥しがっているのか」
という、言葉にならない歎息がルスタムの胸に起ったのであった。

        二十五

 彼は、純白の纏布を巻きつけた頭を軽く左右に振った。そして、気をとりなおし、ギーウに新な酒を勧めた。
「――卿の立てなくなるまで果物酒を振舞おう。その代り今度のことは」
「いやそれはならぬ」ギーウは差した盃をわざと引っこめて云った。
「それでは心を許して好物も味わえぬ。狡い老人だな、王の命令まで盛潰そうとする」
 二人は愉快そうに声を揃えて笑った。がルスタムは直ぐ、真顔にかえった。
「卿を使者に遣わされた王の思惑はほぼ推察がつくが――全く、今度のことは卿の働きにまかせよう。年寄が出るがものはない」
 ルスタムは、四辺が暗くなると広間に幾つも大|篝火《かがりび》を燃させた。揺れる赤い光で、広間じゅうが照った。
 再び、黒人の芸人娘が呼び出された。
 彼女等は昼間とは服装を更え、縮れた碧色の髪に、強い香を放つ乾花の環を戴いていた。衣服は薄く漣のようにひだが多く、鐃※[#「金+(祓−示)」、第3水準1−93−6、375−11]《にょうはち》を打って踊る毎に、体の形がはっきりすき透った。踊娘等は、白眼がちのきれ上った大きな眼に野蛮な媚を湛えて、ギーウやルスタムに流眄を与えながら、時には乳房が男等の頬に触れそうになる迄かけより、すりより、またさっと飛びのいて踊る。広間の外の歩廊の闇の中で、多勢の気勢がした。踊子等が黄金の踝飾《かしょく》をきらめかせ、大胆に脚をはね上げて踊って行くと、俄かに抑えかねたどよめきが起った。城内の男等が見物に来ているのだろう。ルスタムは、ひらひら床の上に入り乱れる女等の影や、微風ではためく篝火の焔、忍足で外廊を過ぎる人影などをぼんやり見遣った。彼の心は、周囲の賑やかさ音楽の騒々しさに拘らず、妙にしんとしていた。ただ一つのことが、しんから彼の念慮を捕えていた。ツランから来た若者のことである。始めアフラシャブ侵入のことを聞いたとき、ルスタムは、単純な面倒くささから出るのを嫌ったのであった。けれど
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