六
晴々として快活な時には、愉快な無頓着でスーラーブは、自分の運命を、稍々《やや》滑稽化しさえした。もうミスラの子というお伽噺《とぎばなし》に信仰を失っていはしても、まあよい時が来る迄神の息子という光栄を担っていよう。誰が父であるにしろ、自分が誰からも冒されないサアンガンの王であるには違いないのだ、と気安く淡白に思う。然し、折にふれて激しい憂鬱が心を圧し、彼から眠りを奪うことがあった。自分の誕生というものに最も忌わしい想像がつきまとった隠されている父の名は、或は、実に恥べき人間と場合とに結びついているのではないだろうか。自分が生れたのを母は、怨みで迎えたのではあるまいか。そう思うとスーラーブの、青年らしい生活の希望は打ちのめされた。
彼は、見えない自分の血の中に、洗っても洗っても落ちない何者かの汚染が滲み込んでいそうに感じた。何時か自分が、我にもない醜悪さを暴露させるのではあるまいか。生きていることさえ恐れなしとはいえない。
そのような疑惑に苦しめられる時、スーラーブは、時を構わず、馬に鞭をくれ、山野を駆け廻った。彼を、致命的な意気消沈から救うのは、僅に一つの反抗心があるばかりであった。
「よろしい。母に自分を生ませた男が、最も卑劣な侵略者なら構うものか、そうあらせろ、自分が、母と自分の血を浄めて見せるぞ。賤しい男の蒔いた種からどんな立派なサアンガンの糸杉が生えたか、見せて遣ろう」
反対に、何ともいえない懐しさと憧れとが、天地の間に、自分という生命を与えた父に対して、感じられることもある。
深い、生活の根柢に触れるこれらの感情に影響され、スーラーブは年に合わせては重々しい、時に、憂を帯びた威で、見る者を打つ青年になった。
彼の日常は、戦士の理想に叛《そむ》かなかった。簡素で、活動的で、女色にも耽らなかった。サアンガンの統治者としての声望は、若い彼として余りあるものがあった。けれども、心の裡に深く入り、喰い込んでいる愁を彼と倶に感じるものは、恐らく誰一人いなかったろう。スーラーブは、自分の武勇や心の正しさなどというものが、一方からいえば、皆悲しい一つの反動であるのを知っていた。彼は、生長すればするほど、祖父の臨終の一言を畏れた。たとい運命が、自分の前に何を出して見せても、動じない自信を持ちたいばかりに、男を練る唯一路である戦士の道を励
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