を瞑り、胸一杯その香を吸うと、坐りなおして跪いた。彼は重い体を伏せて、恭しく小さい赤い焔を拝した。そして沈黙の永い祈祷に入った。ルスタムの胸には、数年来覚えなかった神への切な祈願があった。彼は、自分の心も体も、こういう有様になって来ると、自分の力ではどうにもしようのないのを感じた。縺れた思いを解くにも、弱った体力を鼓舞するのも、外からの救いがいる。彼の祈りはこうであった。
「大神アウラ。卿の老いたる僕ルスタムは、今ここに清き火を燃き穢無き心で卿に会えようとしています。何卒恵み深き啓示を下し給え。儂が、あのツランの若者に対し、このように深く頻りに憧れる心持は、全く老ぼれ爺の弱い妄念なのでありましょうか。または、夢より奇な事実でしょうか。――若し真の敵ならば、アウラよ。恵み深いアウラよ。今一度このルスタムに昔時の力を借し給え。ルスタムは、ルスタムらしく終りたい。万一、あの若者が我が血を嗣ぐ者ならば、今夜、まだ命が互にあるうちに、何かを以て暗示し給え。――儂は、荒くれた戦士に許されるだけの聡さで心の目と耳を開き、卿のささやかな声を聴こうとします」

        四十七

 低い、小さい燃き火が滅し、白檀の香がつめたく遠く消えてしまっても、ルスタムは、彼の頭を擡げなかった。彼は、暫く身も心も祈に捧げて、苦しい、当のない想像や矛盾した実際の間に何かの解答を得ようとしたのであった。神は、すぐ間近にあるように感じられた。心の声は真直、白檀の烟とともにその膝に達したと思える。然し、ルスタムは、どんな特殊な囁きも、羽搏きも自分の傍に聞かなかった。夜は、そして幕舎の裡は、もとどおりイラン曠原の寂しさと、見なれた光景に満ちている。それでも、彼の気分は祈りによって幾分鎮められた。卓に置き捨てられた酒瓶に映る燈の色や、ぽーっと大きなものの影が、少しは彼の眼に美しさの感を与え、愛を感じさせた。やや暫くそのまま坐ってい、ルスタムは立上った。そして、皮袋を元の櫃にしまい、燃火の灰をならし、一まわり天幕内を見まわすと、入口の垂幕をあげた。
 ギーウを迎えに、気を更えるため自分で行こうとしたのであった。天幕を出、ほんの僅か歩いたかと思うと、ルスタムは、誰かに寛衣の裾をひかれた。月光の遮られた陰翳から黒く立現れたのはギーウであった。彼はルスタムを案じ、余程前からそこに忍んで気勢を窺っていたのだ。ルス
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