れども、自分が起きなおり得たのは、ツランの若者の立った後であるのを見られたことを思うと堪えられない気持になった。彼は、数十年来保って来た戦士としての自信が、一時にざくざくに砕けたのを感じた。自分の予覚は当った。この戦いには矢張り出ない方がよかった。けれども、ルスタムは、今はもう自分がぬきさしならぬ立場にあることを知った。どうにでも、始めた勝負の片はつけなければならない――自分が死ぬか、あの若者に傷を負わすか。
然し今日のことを考えると、ルスタムは、到底自分に身を全うする希望は繋げなかった。イランの全軍が自分に信頼して任せているような結果、自分が最初自分に恃んで乗り出したような方向に、決して実際は終りそうになく思えた。戦うために生れて来た者だ。戦いで死ぬのは、彼一箇人の感情から見ればさほど厭うべき、悲しむべきことではなかった。そうとなった暁にはただは死なぬぞ、という反動的な勇気を持ち得た。ルスタムの重荷に思うのは、自分に迷信的な威力をあずけている、無智な兵卒等の擾乱であった。彼等は万一ルスタムが殺されたと知ればギーウの豪気を以てしてもどうにも出来ない意気沮喪に陥ることは彼の目に見えた。
王は、騒ぎ立ち統一を失った者共の心をぐっと収攬するだけの精神の力を欠いている。結果はイラン全土の無統帥とツランの侵略になりかねない。愚な者達は、事実は朽木のように弱くなっても、ルスタムがいる、ということさえ知っていれば安心し、人並の勇気を保っているのだ。彼は、総ての事情を苦痛に感じた。省みると、自分の今度の行動には嘗てなかった夥しい私情が挾まれていた。抑《そもそ》も出動を肯じた動機さえ甚だ無責任な好奇心に誘われたものであるといいたい。また、あの若者が戦いを挑んだ時、何も自分が出るには及ばなかったかも知れない。ギーウが視た眼の心を見ない振りしたのは、自分の失望や寂寥やで、むしゃくしゃしたまぎれの、鬱憤にかられてであった。自惚《うぬぼれ》も手伝っている。
本当に冷静に公平に、イランのためを思えば敢てしないことに手を出したようなものだ。
ルスタムは、その責任を果すために、自分が明日こそ、あらいざらいの力を搾って働くのは当然な義務だという、道徳的な結論に達した。自信はないが、最善を尽すしかないという覚悟に或る安心が伴った。それにしても、彼には解けきれない一つの疑問があった。何故、血気に
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