その制御を受けきれないように、荒く不規則に、夜の地面を踏んで行く。ギーウは、もう少しで天幕に入るというところでルスタムに追いついた。彼は、黙って近よりさま、ルスタムのやや前かがみな、厚い肩に手をかけた。ルスタムは、ぎょっとしたようにふりはらうと肩を捩《ねじ》りながら、顔を向けて後を見た。ギーウと知ると彼は、止り、太い太い吐息をついた。ギーウは、ルスタムに顔を近づけた。「入ってもよいか?」
ルスタムはギーウを見たが、目を逸し、暫く考え、
「待ってくれ」彼は歩き出して云った。
「後で迎えをやる」ギーウは、ルスタムの肩を一二度軽く叩いたまま引きかえした。
ルスタムは、のろのろ自分の天幕に入った。そして、殆ど機械的に甲冑をぬぎすてると、どっかり腰架に腰を卸した。侍僕が用意していた祝辞を、ルスタムの顔つきで阻まれ、訝かしげに眼の隅で偸見ながら、跫音も立てず酒盃や瓶や、乾果、その他を卓に並べた。
燃える炎のような眼でじっとそれを見ていたルスタムは、準備が整うと、
「もうよろしい。用があったら呼ぶから彼方に行っていろ」
侍僕が胸に手を当て、引きさがりかけると、ルスタムは、更に呼びかけた。
「今夜は誰にも会わぬから人は入れるな」
ルスタムは、酒瓶に手をかけた。小さい燈の下で、酒はごくり、ごくり、豊かな音を立てて、脚高な盃につがれた。芳ばしい、神経を引立てる香が四辺に散った。ルスタムは、右手に盃を持ち、左手で白髪を胸に押しつけながら、盃に唇をつけようとした。が、彼は、何とも知れず喉元にこみあげて来る悲しみを感じ、ごくりと喉をならして、盃をおろした。
人気ない卓の上で、酒はいよいよ愛らしい琥珀色に輝いた。それを看ているうちに、ルスタムの眼では、燈の色も、盃の形も次第にぼやけ歪んで来た。彼は、鼻の奥にむずむず涙腺から流れ下るものを感じた。
ルスタムは自分を叱るように、盃を握ると、一いきに酒を煽った。空の盃を手から離さずにまた注いだ。また煽った。三盃そういう風に飲むと、彼は大きく息をつき、卓に肱をかけ、その手で頭を支えた。ルスタムは、自分の戦士としての最後が、こういう形で示されようとは思っていなかった。イランのルスタムが、あの若者に慈悲をかけられて、命を助かる!
四十五
ルスタムは、敵に組しかれた自分を全軍に見られたということは毫も愧としなかった。
け
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