ってゆさりともしない大きな顔には、深い幾条かの皺が走り、何ともいえず寂しい、あじけない感じを起させる。スーラーブは、腰の短剣に手をかけたが、覚えず柄をつかんだまま逡巡した。老戦士の顔には、何かまるで人間離れのした感動があった。それがスーラーブを陰鬱にした。こんなにしてその体の上に踏跨っているのなどはさっさとやめ、手の塵を払って立ち上ってしまいたい、いやな浅間しい気を起されたのであった。彼は、その好機を利用して対手の面覆いを剥ぐことさえ忘れた。彼は、短剣にかけた手をそのまま、深く対手の上にこごみかかった。そして、ひとりでに囁きで訊いた。
「――真実卿はルスタムではないのだろうな」

        四十三

 老戦士の面には云いようのない苦しげな色が漲った。彼は、歯の間から呻いた。
「殺せ。殺せ。卿は勝ったのではないか」
 云うなり一粒大きな涙が古木の表皮のように皺んだ彼の目尻から溢れ出した。そして、糸のように流れて傍の地面にしみ込んだ。スーラーブは、天日の運行も、自分の頭上で止まってしまったように感じた。殺すに忍びない何かが切な彼の胸にあるのだ。彼は緊張に堪えず、覚えず身じろぎをした。すると、目にも止まらないその動作を、片唾をのんで観ていた両軍の将卒が何と見てとったか、一時に悲痛極まる鬨の声をあげ、どっと中央目がけて殺到して来た。スーラーブは、弾かれたように足で立った。イランの戦士は砂を蹴立て、起きなおった。イラン軍からも、ツランの勢からも、今度は歓びで燃え震える喊声が湧き立った。彼等は際どい、危い勝負がまた互角の引分けで終ったのかという驚異と亢奮を制しかね、彼等は、幾度も、幾度も、鎮まろうとしては更にどよめいた。
 この一騎討ちに刺戟されたのかツラン兵は特にその日勇猛であった。彼等は、イランの陣近く進撃し、多くを殺傷して、数頭の乗馬を奪った。夕刻戦闘が終ると、スーラーブは、フーマン等と離れ、独りで、傍路から高地の陣へ戻った。彼は脱いだ甲冑を一まとめにして左手に提げていた。行手の、鳩羽色に暮れかかった樹林の上に、新しい宵の明星が瞬き出した。人馬の騒音は八方に満ちているが、それぞれの形がぼんやり薄闇にくるまれているため、遠い、自分とは無関係な物音のように感じられる。
 スーラーブは、草の匂う高地の斜面を登りながら、肉体の疲労よりは心の疲れを強く感じた。それも、天幕に行
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