めきかかった。スーラーブは、そのすきに素早く手許に切り込み、見事に太刀を対手の手から薙落《なぎおと》した。
 怒濤のような両軍のどよめきの間に、イランの戦士は、「おう!」と呻くと、素手で組もうとかかって来た。スーラーブもからりと太刀をすてた。二人は牡牛のように、がっしり四つに引組んだ。彼は、寧ろこの偶然の機会を悦んだ。相手の体に密着したことで、疑問の面覆いを引剥ぐことも出来るかと思ったのであった。
 スーラーブは、どうかして片手だけを自由にし、その目的を達しようとするのだが、イランの戦士も豪の者だ。右に左に揉み合ううち、スーラーブは、だんだん自分の疲労を自覚して来た。太陽は直射せず、微かな西風さえ吹き流れているが、平地では、砂がちの地と草のいきれで、むっとする暑さが澱んでいた。対手の息づかいの荒さは引っ組んだスーラーブの肩に感じられた。然し、若年の彼の及びそうもない消極的な持堪えが相手にあった。
 喉の渇きが激しくなり、粘りこい膏汗が滲み出すにつれ、スーラーブは、少し焦り始めた。彼は、渾身の力を振搾り、相手を上手投にかけようとした。イランの戦士は、うんと足を踏張って堪え、逆に、スーラーブの脚を掬おうとする。それを脱して体を持なおそうとする拍子に、ほんのちょっとではあるが、スーラーブの右手が浮いた。危いと見る間に、イランの戦士は老巧な腰のひねりでぐっと右をさした。スーラーブの体は、対手ともろに今にも倒れんばかりに平均を失った。処で、彼の若さが、彼を助けた。撓み撓んでもうちょっとという刹那、彼は、どうしたか自分でも判らない身のこなしで宙に躯をたてなおすと虚を衝いて、いきなり厭というほど対手の左脚を前方に引張った。既に平衡を失していたイランの戦士の巨きな躯は、地響きを立て、仰向に倒れた。スーラーブは、飛びついてその胸に跨り、ぎっしり両膝でしめつけた。一度、二度、脚を蹶上《けあ》げて、イランの戦士は起きかえろうとした。が、それが無駄と知れると、彼は思いきりよく、※[#「足+宛」、第3水準1−92−36、406−16]《もが》くのをやめた。
 スーラーブは、はっ、はっと、喘ぎながら、対手の顔を瞰下した。面覆いは少しずれ、汗と塵にまびれた間から一握りの白髭が、惨めな様子でこぼれていた。黒みがかった唇を少し開き、激しく息を切る、口の中は暗い穴のように見えた。観念したらしく眼をつぶ
前へ 次へ
全72ページ中57ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング