り多いという噂が伝わった。日没前に、第一日の合戦は罷められた。スーラーブは、疲れきり、甲冑の下で処々皮膚をすりむかれて、天幕に戻った。侍者に、膏でこすらせ、寝台に横わりながら、彼の少し血走った眼は心に休みない或る考えで光り、じっと天幕の天井に止まった。スーラーブには、どうしても、今日の相手が腑に落ちなかった。あれだけ勢い激しく打ち合って、びくともしない、あの年の戦士が、ルスタム以外にイランにはいるのだろうか。始めての挑戦に直応じて来たことや、乗馬、甲冑がまるで華々しくない灰色ずくめであったことなどを考えると、或は全く父ではないのかも知れない。
四十
考えに耽りながら躯をこすらせ、食物を食べ終ると、スーラーブは、侍者にフーマンを呼ばせた。フーマンは、昼間の合戦になかなか油断なく立ち廻った。彼は、寛衣にかえ、酒の色を顔に出して入って来た。卓子についているスーラーブを認めると、彼は、陽気な風で、手を延ばした。
「どうです! 見事な腕を見せて貰えましたな。お疲れでしょう。儂は今、兵卒共の慰労に一廻りして来たところだが――」どっかりとスーラーブの傍に腰を卸した。
「バーマンは?」
「さあ」
スーラーブは、同じアフラシャブの腹心でも蒼白い無感動のバーマンより、フーマンロサーに人間らしい天性の率直さを感じていた。フーマン自身もそれを知り、何か状態が複雑になりかけると、自分の単純な激情に駆られる性質を恐れるように、冷静な、狡智に長《た》けたバーマンを傍に持とうとする。今、バーマンのいないこととて、スーラーブに希わしい機会なのだ。彼は、フーマンに盃をすすめ、自分も一啜りしながら云い始めた。
「まあ、とにかく今日は余り成績も悪くなかったようだが。――一体、あのイラン方の戦士は誰かね」
フーマンは、赧い顔を手の平で一撫でし、酔いが発したように、卓子にがっくりよった。
「さてね。儂にも判りませんな」
「卿などは、幾度もイランの将等と、手合せしているのだから判らないとはいえない。――誰だろうな。――また、明日のこともあるから訊くのだ」
「ふうむ。――バーマンに訊いたら判るかもしれない」
フーマンは柄になく張のない調子で呟くように云った。そして、さも酔漢らしく頭をふりあげスーラーブに云った。
「どっち道、敵の端くれだから、まあ腕を振って片づけて下さい。今日の勢で行け
前へ
次へ
全72ページ中54ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング