矛盾は何と見られたらいいのだろうか。科学の研究は、その方法において個人の才能の発揮さえも集積的な経過をとる。文学の作品がうまれる過程は、どんなに社会的であるにしろ個人的である。(佐多稲子が「わたしたちの文学」で云っているとおり創作の過程、手つづきとしてはそうである)。だが、文学は、遂にはそこにとどまらないで社会的なものとして実在しつづける。古典文学が歴史に耐えて生きつづけている秘密はここにある。そのように、文学はどんなに社会的であっても個人としての過程を通過してでなくては生れず、社会的なものとして実在することもあり得ない本質であるからこそ、現代文学に求められている社会性の課題の困難は複雑なのである。
これは、文壇的な経歴の中にある作家ばかりが感じている困難ではない。民主的な文学の領野にも深刻にあらわれている。民主的な評論活動の任務は、そのどちらの困難も具体的にとりあげて、民主的方向の独自性に立ちながら、現代文学の全般に見られる社会認識、あるいは社会観と文学の方法との分裂から、作家を救い出すことにある。現代史のふたまた[#「ふたまた」に傍点]にかかってひき裂かれるにまかせておいたり、さもなければ、生きようとする本能と最少抵抗線をたどりやすい日本の精神の体質にまかせて、どっちかの木の股にすがりついてしまうにまかせておくことは歴史の前に許されない。その責任を痛切にわが日々の文学活動において感じれば、民主的批評の方法が、もっともっと民主的人民の理性として、その感情にまで血肉化されたものとならなければならないことを見出さずにいられないと思う。民主的批評は、よい文学として、それをよむ人々の胸に訴え、おちいっている矛盾からの発展的脱出を意欲させ得るものでなければならない。批評も、平和のためにたたかい民族の愛のためにたたかいつつある人民的な人格の力と火とをもたなければなるまい。
過去の文学に生い立った作家のもっているいくつかの困難の一つは、その文学の根がただ一つ個性をよりどころとしていて、より社会的なものを展望しても、展望そのものが性格の枠を脱しきれないところにある。知性さえも先ず個性的な造型であらなければならなかった。
民主的な文学をこころざして生れようとしている作家たちにとっての困難は、人民的な立場として共通な現実観の客観的な同一性(階級の人としてだれも大体同じな世界観
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