評家が、多くの人の、その気分とその気分を商品化する文学の枠の外から、太宰治という一人の人生と文学の悲劇らしいものを客観的に検討してゆく任務があるはずであった。しかも、発言をおさえる傾向が、民主的批評家はやっつけるだけ[#「やっつけるだけ」に傍点]、という風な自己評価から出発しているとすれば、批評家は、自分たちの批評の方法について、重大な省察と再検討をするべきであったと思う。だが、それはなされなかった。波は岩の上をザーと流れただけだった。
 文壇的な評論家や批評家が、私小説とそのリアリズムを否定した先の創作の方法について、より社会的なひろがりにたつための具体的前進の道を示しかねていたこの年々、文学上のひろばである創作方法の研究は、民主的批評家たちによっても、決して十分鋤きかえされたとは云えない。プロレタリア文学運動は一九三二年ごろまでに、一応社会と文学、階級と文学、世界観と文学、文学の客観的評価の基準、文学の課題と創作方法などの関係について原則を見出した。その原則を原則なりに新しい文学の基礎認識として普及しようとしていた時代の社会科学的批評の方法を、一九四五年以後の民主的文学運動はどのように発展させることができただろう。新しい現実にふさわしくしなやかで、機能の高い関節をどんなにふやすことができただろうか。まけおしみぬきで、事実を事実として見るならば、民主的文学運動におけるこの地点には、思いのほかの地すべりがある。
 太宰治の死に際して、受動的な形であらわれた民主的批評の実質についての危機は、つづいて一昨年の初夏、多くの文学者が、反ファシズムと戦争反対の要求にたって民主的陣営との統一的な動きにすすんで来てから、今日にまでの民主的批評家の活動にあらわれている。
 こんにちファシズムに反対し、世界平和を求め、原子兵器使用の惨虐に抗議している文学者は、その数において、科学者よりも少いとは考えられない。これらの文学者は、それぞれ日本と世界平和とすべての民族の独立のためのアッピールに署名しているし、ふさわしいと考えられる団体に加わってもいる。けれども、文学者として、創作されつつある文学的成果が、同じひとの社会的行為としての平和運動への参加などと、まるでかけはなれたものであるとしたらどうだろう。場合によっては、彼の署名そのものを否定しているような客観性をもつ作品であるとしたら、その
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