現代の心をこめて
――羽仁五郎氏著『ミケルアンジェロ』――
宮本百合子
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【テキスト中に現れる記号について】
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(例)[#地付き]〔一九三九年六月〕
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羽仁五郎氏は、この真心を傾けて執筆された独特な伝記を、有名なダヴィテの像に今日見ることの出来るミケルアンジェロの不滅の生命から語りはじめていられる。「ミケルアンジェロは、いま、生きている。うたがうひとは『ダヴィテ』を見よ。」という情熱のこもった声によって、この魅力ふかく学ぶところの多い一冊の本は始まっているのである。
この評伝の美しさ、漲る誠意と、その土台をなして実に活々と確かに歴史の現実の諸関係をつかみ出している科学者としての方法は、ミケルアンジェロの芸術の本質をはっきりと描き出しているのみならず、当時の複雑きわまる社会と芸術との活きた画が立体的に動的にくりひろげられてゆくその道すじに、人々の心におどろくような新鮮な実感をもって、今日の世の中や芸術のありように対する新たな目ざめを覚えさせて行く。
ミケルアンジェロという巨人的な天才の生涯と芸術とは、決して運命の気まぐれで生れたものではなかった。彼の人及び芸術家としての壮大な歓び、悲しみ、辛苦、不撓な芸術への献身などは、ルネサンスの花咲きみちた十五世紀の伊太利、その自由都市国家フィレンツェの人民の繁栄及び近代的進歩の挫折の過程と、たちがたい関係をもって互につながり合っているものであったこと、個人の歴史は社会の歴史とどのように織交りあっているものであるか、そして又芸術を知ろうとすればその当時の社会の有様を基礎としなければ、本当のことは何も分らないものであるということを、歴史家である著者は、精密に、しかも胸に訴える生ける姿として、描き出しているのである。
この本の最初の部分で、先ず私たちはこれから多くの場合、少なからぬ助けとなるようなルネサンスの社会と文化に関する歴史的な要素の分析とそこに潜められていた様々の矛盾について、行届いた知識を与えられる。そのルネサンス伊太利の繁栄が絶頂に達して、遂にかくされていた諸矛盾がそろそろその作用をあらわしはじめた時、フィレンツェの市民、市民の芸術家としてのミケルアンジェロは、若きダヴィテの像をつくった。その後、フィレンツェ市が専制者メディチとの間に行わなければなら
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