なかった名誉ある闘い、その敗北の惨苦。一度はフィレンツェ市の防衛のためにサン・ミニアトの丘に立ったミケルアンジェロが、亡命者としてローマに止まり、人々をその悲痛さで撃つばかりのピエタを作りながら、九十年の生涯を終る有様は、波瀾に波瀾を重ねるフィレンツェ市の推移とともに見事な浮彫のように書かれている。
 通俗には誤って考えられているこの時代の思想家マキャヴェリの真の価値も、その著作「フィレンツェ史」にふれつつ当時の活動の跡に即して正しい光りに照らし出されているし、メレジェコフスキーの「神々の復活」という小説の中などでは、予言者として怒号の表情だけ誇張して扱われているサヴォナロラの殉教の意味も、当時の進歩とその不徹底の両面を象徴するものとして、この本では明瞭な歴史的判断におかれている。レオナルド・ダ・ヴィンチの生きかたさえ、この本の中では、ミケルアンジェロの精神との対比で見られているために、機微にふれたその歴史への角度を浮き上らされているのである。
 更に、著者はルネサンスという時代と人とに関して書かれている主要な著作を、社会・経済・文化の諸部門にわたってとりあげ、その正当な読みかた、学びかたについての指示まで与えている。著者が、心からのおくりものとして、人間の進歩の歴史を愛し知識の明るさを愛するあらゆる人々に、事物の正しい理解の方法をつたえようとしている、そのあらわれの一つと思える。
「ミケルアンジェロの修業・モデルと思想」というところを読んだものは、歴史家である著者がこの大芸術家の識見を正しくつたえつつ、自身の芸術に対する良識と感性によって、おのずから今日の芸術が、特に今一度とりあげて考え直さねばならない芸術上の諸課題にも触れているのを痛感するであろう。例えば題材とテーマとの問題などにふれて。自然というものの感じかた、裸体の歴史性、モデルと思想との相互の関係などを語っている部分は深い示唆をもっている。
 中年から以後、ミケルアンジェロの作品がつねに未完成にのこされた、それについてロマン・ロランでさえ個人的に性格の分裂という風に見たりしているのを正してこの著者が「悲壮にも挫折した歴史急転の速度を追って追い抜こうとして、そこにいたるところに残した未完成である」と云っている言葉は、まことに余韻浅からぬものと云うべきであろう。
「ミケルアンジェロ」は「現代の人」の一人によっ
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