とが、民主という名をもって出現した社会主義的な精神と個性との画一化への抵抗であるとさえ、誤って合理づけている人々があるのである。二様三様の心理は絡みあって、その持主たちを停頓させているばかりではない。この病的にあらわされている主我とその心理傾向は、主観において強烈でありながら、客観的には一種の無力状態であるから、より年少な世代の精神的空白をみたし、戦争によって脳髄をぬきとられた青春にその誇りをとりもどし、その人間的心持に内容づけを与えてやる、どんな精神的熱量をも放射しえないでいるのである。
この現象は、まじめな憂慮をよびさますべきことだと思う。なかば封建の抑圧は、私たちの精神を、背丈のちぢんだ走力のよわった脚のものにしたばかりか、戦争は人間群をきりさいて、世紀の中に、いくつかの世代の層を分裂させているのである。いためつけられた主我の病癖は、当然の結果として、世界史の推移のモメントとしての時間の感覚をも客観的には把握していないのである。
いくとおりかの例のうちで、誰の衷心にもその響にこたえるなにものかをふくんでいるのは、第二の若い人々の心情にある渇望についてである。これについて少し
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