少い。そこから、職業は生活のため、人間としての心持のはけどころとして他に何か、と別に仕事を目で追い求めてゆくのでしょう。だが、彼女たちの経済力と時間と精力とが、はたしてどの程度に自由な利用のためにのこされているでしょうか。ここに痛切な疑問があると思います。体力的に見て、二種類の活動に精力を分けられる程度の疲労だけですむ職業は、少くとも今日職業と名のつく職業にはないと思う。職業をもつ女は、いわばもっと腹をすえなければならないのではないでしょうか。昔の立身出世の意味でなくもっと自身の境遇、その職業にうちこんで、職業そのものの条件をいくらかでも人間的にましなものにしてゆくために腰がすわらなければならないと思います。
 女のひとが仕事と職業とを分けて考えがちになる気持の根拠には、複雑な形で今日の社会の事情が反映しているのですが、私はそれであればあるだけ、女がますます仕事と職業との一致確立を可能ならせる方向に共同の努力を向けてゆかなければならないと思うのです。境遇の事情で、いわゆる仕事として技術を身につけているひとも、これまでのように、私は職業にしてはいないのだからと、離れた心持でなく、やはりそ
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