を痛感しているのである。
明治以来つい最近まで七十年余に、日本の文化は極めて不健全な実体をもって来た。世界の多くの国々をみれば、人口の過半を占める婦人たちは、遙か昔に、自分たちの生活する社会の運営に参加している。そして、その自然な経過として、先ず身近な地方自治体への選挙、被選挙権の行使から、彼女たちの政治的発足をしている。イギリスでは一八六九年(明治二年)アメリカも同じ年。オーストラリアは一八九二年(明治二十五年)婦人の公民権が認められた。第一次欧州大戦の終結した一九一八年(大正七年)、イギリスは人民代表法で婦人の参政権を認め、小さいけれども文化的に水準の高いノルウェイは、それより早い一九一三年に完全な婦人参政権を実現した。ソヴェト同盟が、生産と公共的な勤労に従う男女の生活権を尊重して、十八歳以上の男女に等しく選挙・被選挙権を与えていることは、周知のとおりである。
日本の歴史は、惨憺たる進歩性の敗退の跡を示している。明治維新によって、名目上の民権が認められ、新しい日本を建設しようという希望に燃えた一団の人々は明治十四年(一八八一年)自由党を結成した。有名な中島湘煙(岸田俊子)が十九
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