の一幕物は作品としては全くの習作であった。謂わばまだ全体がトガキのようなものだとも云えるであろう。しかしながら、作者はその習作においてがんこな農村の親族間のごたごたと、工場監督にはらまされてかえって来た千代という娘の悲惨を描こうとしている。千代に、「私……私がわるいんじゃないんです。みんな、あの監督さんがわるいんです」と云わせている作者はそういう作品と自身の実際の生活とを、どのような関係において、今日の社会というものを考えているのであろうか? 作者自身にとってこれははっきりされていないと私は感じたのであった。
 文学を現実の生活から切りはなしたどこかで作られるもののように考え、感じ、焦るのは、ある才能をもすりへらしてしまう最も危険な誤りの一つである。
 文学はわれわれの生きている現実の生活を突きつめてそれを芸術化して行くところに生れるのであって、われわれのぶつかる現実を、あれでもない、これでもないと、反物を選るときのように片はじからなげすてて行けばその底から或る特殊な文学的現実というものが忽然と現れ出して来るというようなものでは決してない。生活がその曲折と悲喜交々の折衝によって、われわ
前へ 次へ
全11ページ中4ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング