いの間に、その界隈の様子は随分変って来たのだが、特別この一、二年に新しい屋敷がどんどん出来た。坪二百五十円であるとか、それではこの辺一帯の地価に対して高すぎる、だから売れない。そんな噂があって、区画整理した分譲地もそこここまばらに住む人が出来ただけで数年が経過していた。すると、一昨年あたりから、地価の方はどうなったのか知らないが、今まで草蓬々としていた四角や長方形やらの空地の上に、いろいろな形の家が、いずれもとりいそいだ風にして建てられて行った。分譲地の九分通りに、そうして家が出来た。
もとその一画は某という株屋がもっていた林や原っぱであった。
子供の自分、××さんの原っぱの奥で、運動会があるというので見に行った覚えがある。日向の芝生に赤い小旗がヒラヒラしていた。あそこへ××さんの唖の息子も来ている。そう云って集っていた近所の人々は目ひき袖ひきした。
そこの家には三代唖のひとがいたとか、三人の男の子が唖だとか、それに何か金銭につながった因縁話が絡んで、子供の心を気味わるく思わせる真偽明らかでない話が、その時分きかされていたのであった。
今のこっているのは、原っぱの奥の崖下にあった池のぐるりだけで、そこは分譲地にはならないから市の小公園になった。崖下は住みての種類がまるでちがっていて、崖下の家々の男の子らはよろこんで、夏はタモをもって来てその池のぐるりを駈けまわった。合歓木《ねむのき》がその崖に枝垂れて花咲いたりする眺めもある。
外国の住宅区域というところを歩くと、たとえ塀はどんなに高くていかめしくても、そこに何か風流な工夫がほどこされてあって、思いがけぬ透格子や鉄の唐草の間から、庭のたたずまいが見えたりして、一つの街の風景をもなしている。
その界隈にこの頃たつ家は、いずれもぐるりをコンクリートの塀で犇《ひし》とかこって、面白いこともなさそうに往来に向って門扉も鎖してしずまっている。だが、昔ながらの木と土と紙でこしらえた家のまわりだけをそんないかめしいコンクリートでかこってみるのはどういうのだろう、そこには奇妙な感じもある。
夏のある朝早く、やはりそういうコンクリート塀の横を歩いていた。その塀は長くてなかなかつきない、一丈もあるその塀よりもっと高く繁っている樹木の枝が上から房々と垂れて、その片側もやはり塀であった。細い一本の道がそこを通って坂の下へと向っ
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