が来た。荷車を引いて、棍棒を持って犬殺しが来た、と、私共同胞三人は、ぞっとして家の中に逃げ込んだものだ。
 白が死んだのは犬殺しに殺されたのか、病気であったのか。今だに判らない。きいて見ても母さえ忘れて居る。どうして連れて来られたのか知らないしろは、又、どうしたのかわからない原因で、死んだこと丈確に私共の生活から消え去って仕舞ったのであった。
 それから何年も経った。
 父は英国から帰って来た。
 弟達と妹とが殖えた。近所の様子も変化した。
 一九二四年の今日(二月)、林町界隈であの時代のままあるのは、僅に藤堂家の森だけとなった。古い桜樹と幾年か手を入れられたことなく茂りに繁った下生えの灌木、雑草が、かたばかりの枸橘《からたち》の生垣から見渡せた懐しいコローの絵のような松平家の廃園は、丸善のインク工場の壜置場に、裏手の一区画を貸与したことから、一九二三年九月一日の関東大震災後、最も殺風景なトタン塀を七八尺にめぐらし、何処か焼け出され金持の住宅敷地とされてしまった。
 株で儲けたと云う須藤が、彼方此方の土地開放の流行の真意を最も生産的に理解しない筈はない。恐らく徳川幕府の時代から、駒込村
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