必然によって、一国鉄従業員の場合とは全く反対にあらわれた。世間を疑惑のうちにのこしたまま、労働組合や共産党への毒素のような悪宣伝をみなぎらしたまま――遺族自身がのぞむのぞまないにかかわらず、その屍《しかばね》の最後の一片までを民自党の人民抑圧の政策の利用にゆだねるという悲惨な形で、いまの社会の官僚制度や保険制度の非人間性からのぬけ道を見出そうとされなければならなかった。その方法、この悲劇の社会的な原因を排除するのではなしに、かえってそれを掩護し、不合理の率直な告訴人となれないで、心ならずもそのかかし[#「かかし」に傍点]としてつかわれながら。
これも一つの日本の悲劇であったと思う。あの事件に関して暴力をきびしく非難したのが発言者たちの真実の声であったのなら、最もはっきり暴力の罪悪性を断言した人ほど、こんにちでは遺族の名誉とヒューマニティーのために真実の暴力がどこにあるかということについて、説明者となる責任があるだろうと思う。社会的発言の場面を多くもっている人ほど、真実と正義に対する義務もより多く負うているのは当然だからである。
生きてゆく生きかたそのものの現実に人民の権利の確立と民
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