結論をいそがないで
宮本百合子
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シベリヤ生活の間でみたこと、聞いたこと、感じたことは、本当にさぞどっさりなことでしょう。それを書かずにいられない心持は十分分ります。それだのに「書けない」のは、どんな原因から来ているのでしょう。いろいろ感じることはたくさんあって書きたいのだけれども「書けない」でいるという人は、多数だろうと思います。そういう多数の人の心にある「書けない」問題にもふれて、みんなで考えてみるのも無駄であるまいと思います。
わたしたちがみること、きくこと、感じることから、時々に強い感銘を与えられ、それが忘れられない。書きたい、としても、それらのつづいておこって来てはいてもバラバラしている印象を片端から書きしるして行っただけでは、やっぱり第三者にまで感銘を実感として伝えることは出来ないでしょう。自分としてもどうもぴったり来るように書けないと失望しがちです。よむ人に納得され、共感される一つの世界として作品を存在させるためには、ここに一人のAならAという人が日本の勤労人民、および召集された兵士として経てきた生活経験の末にめぐりあっているソヴェト社会の捕虜生活という、客観的な条件が先ずはっきりつかまれる必要があるでしょう。つづいてそこから生まれる日々の生活方法の比較、新しい発見、それにつれて感じさせられた疑問やおどろき、或はよろこび、さびしさその他いろいろの心持の観察が、あれこれの具体的な事件にからんで、結論をいそがず描き出されてゆくうちに、作者はこれで自分も語りたいことを語っているという自覚をもつことができ、努力をつづけて行けるのだと思います。
小説としてまとめるためには相当時間もかかります。題材についてくりかえし考えて、たとえばある事件と事件との間にあって表面には出ない深いところの客観的な関係までしっかりつかまなければ事件も情景もくっきりしなくて、芝居のかきわりのようになってしまいます。しかし、あなたの場合、いますぐ小説としてまとめられないとしても、さしあたっては、備忘録風なノートとしてでもいいから、書きたいと思っているいくつかの事件のあらましやエピソード、自分の心持などを書きとめておくことは大事です。時が経てば
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