だろう。
優良馬の媾配であるならば血統の記録を互に示し合って、それでわかると思う。人間の男女の結婚は、共同的な生活の建設であり、生活は複雑をきわめるものであって、永い歳月にわたって互が互の真実な伴侶であるためには、人間としての結びつきが深い土台となってくる。真の優生結婚は、肉体の条件の優秀さとともに精神の愛のゆたかさ、つよさ、活溌さにおいてもひいでたものでなければならないと思う。健全な結婚ということの実際は、十人の子供を持ったという結果からだけではなくて、その子供たちの父と母とが終生人間としての向上心を失わず、父は旧来の男の習俗におちず妻に対して誠実であるということからも見られて行かなければならないだろう。
それだのに、何故今日の結婚論が、早婚の必要と優生知識を説くにせわしくて、結婚を真に生活たらしめてゆく肝心の理解や愛の問題をとばして行っているのだろう。そこのところが、何か今日の結婚論にうるおいのたりない、人間の優しさや深味の少い淋しさを与えているのだと思う。
現代の考えぶかい人たちは、十九世紀のロマンティストのように結婚は恋愛の墓場であるという風なものの見かたはしていないのが
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