んな単純原始な理解しかもたなかったら、どうだろう。どんな洞察こまやかさで子らの成長の過程と人生の曲折を同感し、励ましてやることができるだろう。
この頃いたるところにある結婚論で、立派な恋愛を生涯の結婚生活のなかでみのらしてゆくように、というような希望には全くふれられていないことは特色であると思う。
今日の結婚論は、先ず優生学の見地から、子供をもつ可能の点からいわれている。より強壮な肉体の配偶を互に選び合えということに重点をおいて語られている。
これらのことは、結婚の現実に幸福をましてゆく一つの大切な条件であるし、日本の女性たちはこれまであまりその方面の知識や関心が無さすぎた。そのために永い歴史の間で女性のたえ忍んで来た不幸はどれほどであったか知れなかった。今日の女性が、結婚の科学をも十分わきまえて、ますます強く美しい肉体の歓びをも満喫する生活を持ってゆくとすれば、それは本当にうれしいと思う。
だけれども、そうして優生結婚、健全結婚が慫慂《しょうよう》されるとき、今日の結婚論は、人間と人間との間にある愛として、結婚に入る門口として、互の理解の大切さを前提しないのはどういうわけなの
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