に結婚はされるのだといったけれども、と語っていた。
 当時その記事を読んでさまざまの感想にうたれたのは私一人でなかったろうと思う。専門教育をうけて、大学の研究室で何か仕事をもっている女性といえば、日本の知識ある若い婦人として代表的な立場にいるとすべきであろう。そのひとが、年齢やいろいろの関係から、結婚というものがよく分らない、というのは娘さんらしい自然さとして素直にうなずける。けれども、結婚と子供とをいきなり結びつけてそれを目的のようにいう感覚も、何かこれまでの若い女性の神経にはなかったことだと感じられた。それにそのひとは、自分の感情に結婚はまだわかっていないから、分るまで待って結婚したいと思っているのではなくて、いずれ両親の見出してくれる適当な配偶者と結婚するだろうということは明言しているのであった。
 親の見出してくれた配偶者と結婚して幸福な生活がいとなめないなどと思う心持は毛頭ないけれど、それでも、この女性の感じかたはその時司会をしていられた片岡鉄兵氏をも何となしおどろかしたところがあったように見える。片岡さんは、少し意外そうな語調で、結婚は子供を生むためというより、それは自然の
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