マルシャルに求める。マルシャルはそれを拒絶する、ジュヌヴィエヴには自分のいっていることの真の意味がまだわかっていないのだ、と。
 題が語っているとおりに、この小説は未完であって、ジュヌヴィエヴがついにどんな発展をたどって、求めている女性のより広く自然な生きかたをえて行ったかというところまでテーマは展開されていない。作者は十九歳になったときのジュヌヴィエヴの回想として、そういう形での抗議が真の抗議の意味をもたないということを語らせているし、同時に彼女の親友ジゼルの批判として、子供だけもって結婚はしないというような「女にとってあとあとの負担の非常に多いそんなやりかたを承知するような男を、どうして尊敬できるでしょう?」ともいわせている。
 大変いわゆるお育ちのいい十六のジュヌヴィエヴが女性としての目ざめとともに、自分たちをとりかこむ綺麗ごとと表面の純潔でぬりあげた環境への反逆として、そういう観念の上での破壊を考えたことは分るとして、日本の、それも現実の波に洗われながら働いている若い女性たち、日本の社会が、良人なしに子供をもった若い女をどんな眼で見て、その子をどう扱って来ているかということを痛いほど知っている女性たちがジイドの小説の世界から、その思考を自分たちの表現として借りたのは、どういう動機があったのだろう。
 その頃いわれていたように、男と話すときの一種漠然としていながら肉感のともなった嬌態の一つとしてそんな風にしゃべった女性もあったにちがいない。
 けれども、それが全部ではなかったろう。日本の若い女性が、結婚してもつべき家庭生活の中で女に求められているありようについて疑問を持ち初めてからすでに年月がたっている。女性にとって結婚とそれにひきつづいての家庭生活とは一つのものでありながらまた二つのものであって、ある人と結婚してもよいという気持と、在来の家庭の形態の中で女性が強いられて行かなければならないものをそのまま承引しかねる気持とは、若い向上欲のある女性の感情を苦しい分裂と不決定に置きがちである。
 その一つであって二つにわかれたもののようにある重い条件をひっくるめて、私たちは自分の生活として持って、毎日の生活の中で、外ならぬ自分たち二人でそれを最善に向かって改善してゆくしかない。若い世代の結婚や家庭の持ちかたに見出されるべき新しい価値があるとすれば、それはそのように
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