たりしていることが無いといえるだろうか。原因が何であるにしろ、今の空気は、子供をもたない一組の男女に、自分たちの生活の意味を考え直させるようなところがある。子供をもたない宮城タマヨ夫人が、婦人雑誌に子のない妻への言葉を書いているのも、その微妙な反映なのであろう。
 若い世代は、あらゆるものを積極にうけいれて、自分たちの幸福のために活かして行くべきだと思う。これまで常識の中に欠けていた結婚の生理に関する知識や優生の知識が、この頃いろいろなところで語られているとすれば、それは躊躇せず生活というものを理解してゆく実力の中へとり入れて行くべきだと思う。そして真の優良な結婚というものは、それらを条件としつつ一層互にたすけ合い高まる人間の理解と協力の美しい力を必要とすることを学んで行くべきなのだと思う。
 人と人との間に在り得る理解というもの、ましてやそれが種々様々の昨日と今日との歴史をこめて生きている男と女との間に在り得る理解というものは、実に私たちが成長しつつ生きてゆくことを可能にするいくつかの社会感覚の柱の中の、最も重大な一本であると思う。
 結婚の核心にあるそういうものを明確に見ようとしないで、結果の方からいわれるとすれば、その単純さでやはり観念的だと思うのだが、若い女性が割合あやしまずにそういう観念化された傾きにひき入れられて行くようなのはどうしてだろう。
 この問いにつれて心に浮かんで来ることがある。四、五年前に、若い女性たちの間で結婚はしたいとは思わないけれど、子供だけは欲しいと思うという表現がはやったことがあった。
 若い女性たちのあいだに見られたそういういいあらわしかたの本心については疑問が抱かれて、当時流行のジイドの「未完の告白」のジュヌヴィエヴの模倣も大分あるというふうに判断されていた。
「未完の告白」は、知られているとおり、十六歳の学問好きな、そして母から伝えられた根気よさと自立を愛する精神をもつ少女ジュヌヴィエヴが、第一次のヨーロッパ大戦前のフランスの中流生活の常套の中で、俗っぽく偽善的な父親が強いている「良俗」に反抗し、自分の独立と自由とを主張しようとして、女性だけに可能な出産という行為でそれを奪いとろうと試みる。ジュヌヴィエヴはいかにも十六歳の少女らしく、鋭いが未熟で現実的でない思惟と情熱とで、自分に子供を与えてくれるようにと、科学の教師である医師
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