偽りのない文化を
宮本百合子
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)膿汁《うみ》
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)しらみ[#「しらみ」に傍点]にくわれながらも。
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一
きょう、わたしたち女性の生活に文化という言葉はどんなひびきをもってこだまするだろう。文化一般を考えようとしても、そこには非常に錯雑した現実がすぐ浮び上って来る。このごろの夏の雨にしめりつづけてたきつけにくい薪のこと、そのまきが乏しくて、買うに高いこと。干しものがかわかなくて、あした着て出るものに不自由しがちなこと。シャボンがまた高くなったこと。夏という日本の季節を爽快にすごすことも一つの文化だとすれば、多くの女性の生活には、文化らしいものさえもたらされていない。雑誌のモードは、山に海にと、闊達自由な服装の色どりをしめし、野外の風にふかれる肌の手入れを指導しているけれども、サンマー・タイムの四時から五時、ジープのかけすぎる交叉点を、信号につれて雑色の河のように家路に向って流れる無数の老若男女勤め人たちの汗ばんだ皮膚は、さっぱりお湯で行水をつかうことさえ不如意な雑居生活にたえている場合が多い。
その半面、このごろのわたしたちの生活は、決して戦争時分のように、どっちを向いても食べているのはおたがいに大豆ばかりという状態ではなくなっている。おいしそうに見事な果物や菓子が売り出されている。きれいな夏ものが飾られ、登山用具はデパートのスポーツ部にあふれている。軒をならべた露店に面して、よくみがかれた大きいショーウィンドをきらめかせているデパートはすべてが外国風な装飾で、外国人専用のデパートの入口には外国の若い兵士が番をしている。その入口を出て来る人の姿を見ていると、あながち外国人ばかりでもなくて、大きい紙包を腕にかかえた日本の女もまじっている。そういう日本の女のひとたちは、どうしてあんなに、わたしはみんなとちがいます、という風な愛嬌のない、きれいさのない顔つきをして通行人にたち向わなければならないのだろう。その表情を見るような見ないような視線のはじにうつしとって、瞬間の皮肉を感じながらゆきすぎる男女の生活は、日々の勤勉にかかわらず三千七百円ベースの底がひとたまりもなくわられつつある物価の高さによろめき、喘いでいるのだ。
こう
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