いう様相が文化とよばれるものだろうか。こんなまとまりのない、二重三重の不均衡でがたぴし、民族の隷属がむき出されているありさまが、わたしたち日本人の文化の本質だというのだろうか。
戦時中の反動で、しきりに教養だの文化だのと求めながら、わたしたちは必要なだけの真面目さで今日の文化性について吟味していないように思う。きょうの現実に生きるわたしたちの感情には、ひと握りの人たちが教育をうけて来た外国の文化をほめて日本の文化の低さを語る、そんな気持にはおどろかされないものがある。日本の七千万の人の大多数は、文化の資産として歴史のなかからなにをとり出して来ているか。こんにちの文化の底辺をそこに発見しようとする切実な心がある。まして女性の現実では、――きょうでも日本のほとんどすべての女性が苦しんでいるのは、新しくなろうと願う彼女の生き生きした足や手にからんで、ひきもどそうとしている旧い力なのだから。そして、その旧い力は、決して思想の上での旧さばかりにあらわれていない。実にはっきり、燃料となり、代用食事の手間のかかる支度となって女性の二十四時間にくいこんで来ている。しかも、十年前にくらべると、一日のうちに自由時間を一時間半しかもてなくなって来ているこれらの主婦が目にふれ耳にきくのは、アメリカの電化された台所の簡易さである。主婦たちが、いろいろの内容のクラブをつくって有益にたのしく暮すときくが、それはつまり家事の単純化されていることとまったくつながった文化性であることを、きょうの日本の主婦は知りぬいている。
男と同じに女も教育をうけられるようになった。やっとその実現が見られるきょう、男女学生のアルバイト率はどうだろう。月謝の値上げはどうだろう。PTAの物品交換会で、数十万円の禁制品が没収されたという新聞記事は、心ある親たちと教師に、どんな感銘を与えたろう。
二
日本の文化一般について、そもそもわたしたちはどんな現実的な観念をもっているだろうか。
日本の文化という場合、いつもヨーロッパ文化に対して、独特な日本文化と主張されて来た。東洋といってもインドや中国、朝鮮とちがった日本の文化をいわれて来た。そして、世界文化のなかにあっても特殊に優雅である日本文化の典型として茶の湯、生花、能楽、造園、日本人形や日本服があげられる。
外国の人も日本文化の特長を手早くと
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