とおして全面に描き出されている旧いヨーロッパの秩序の崩壊に対するやきつくように鋭い意識とその意識につらぬかれつつそれをもちこたえてゆくダイナミックで強靭な感覚と神経。「凱旋門」が日本の若い人々を魅した秘密はそこにあるのではなかろうか。
 この推定は、無根拠ではない。何故なら、旧い日本は一九四五年八月十五日にわれわれの内と外とで音たかく壊滅したはずだった。それだのに、きょうのわたしたちの現実にからみついて棲息している旧いものの力はどうだろう。それがいっそういとわしいことには、民主的だとか新しい日本の建設だとかいういいかたのうちに、いつも六分まで旧いものをもりこんで、出されて来ることである。日本の社会の雰囲気には、破滅のうちに生きていながらその破滅を意識の正面にうけとってゆくリアリスティックな凜冽さが足りない。そして、それは昨今ますますぼやかす方向にみちびかれている。破滅的現象は街にも家庭にもあふれ出ているのに、若い眼も心も崩壊の膿汁《うみ》にふれていながら、事実は事実として見て、生活でぐっとそれによごされず突破してゆくような生活意欲はつちかわれていない。若さは無意識のうちにこんにちの姑息ないいくるめや偽善をもの足りなく思っていて、「凱旋門」に描かれているあからさまな破壊とそれをしのぐ人間精神にひかれたのではなかったろうか。

          三

 遊廓は、封建的な婦女の市場だった。徳川時代、武士と町人百姓の身分制度はきびしくて、町人からの借金で生計を保つ武士にも、斬りすて御免の権力があった。高利貸資本を蓄積して徳川中葉から経済力を充実させて来た大阪や江戸の大町人が、経済の能力にしたがって人間らしい自分の欲望を発揮するためにはさまざまの苦肉策がとられた。大名、武家に対して町人の服装は制限されていたから、表は木綿で裏には見事な染羽二重をつける服飾も、粋という名で町人の風俗となった。武家の能狂言に対して、芝居が発達した。その大門をくぐれば、武士も町人も同等な男となって、太夫の選択にうけみでなければならない廓のしきたりがつくられたのも、町人がせめても金の力で、人間平等の領域を保とうとしたことによった。大名生活を競って手のこんだ粉飾と礼儀と華美をかさねたその場面が、婦女の売買される市場であったということは、封建的社会での女のありかたをしみじみと思わせる。君とねようか千石と
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