仕方がなかったのだろう。
 栄三郎の小女お君は、内気に真心をつくしているのがしおらしかった。
 一幕目で、朋輩の饒舌に仲間入りもせず、裏からお絹の舞台を一心に見ているところ、お絹が病気になってから、芝居の端にも、心は病床の主人にひかれている素振りが見え、真情に迫った。
 ただ、一幕目で、お絹が舞台で倒れて担がれて来た時、無目的に駈け集った者の中から、せめてお君位は主人の衣裳に手をかけてもよかったろう。
 今まで後ばかり向き続けていたお君の存在が其処で或る点まではっきりするばかりでなく、舞台裏から迄見守る実意があれば、あの場合、重苦しい着物をゆるめる気になるのが、女として心持の上で必然なのである。
 お絹に、遺品として蛇を貰ったところと、お里の家へ忍び込む気になったところまで、感情の連絡に乏しい感じはなかったろうか。
 私の心持から見ると、此「両国の秋」と云う芝居は脚本の根本に、何かお絹なりお君なりを、充分活かし切らないものがあったのではないかと思う。
 お絹、林之助、お里、小女お君の四人にからんで、筋は情緒的に、生々しく発展すべき性質のものだ。そこへ人間の数が殖えすぎ、筋は、皆、傍の人
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