へ来て分った。九州の樹は前にも云う通りすらりと高い。木によって違うだろうが楓なら、坐った高さで先ず若葉ごしの日光を受ける幹が目に入る程よくこみ合い、根を張った樹の幹の眺めは、心を落つかせ、実によいものだ。樹幹の風致を充分味わせながら、当然青葉若葉も瞳に映る。明るく、確《しっか》りしてい、同時に溢れる閑寂を感じる。
私の狭い経験で東京や京都の凝った部屋の植込みが、こんなところは知らない。坐ると、第一に植込みの葉面が迫って来る。種々錯綜した緑の線、葉の重なり。ここでは緑に囲まれて坐るというところによさがあり、九州――臼杵で見た庭は、心が自ら樹間を逍遙する宏やかさがある。
九州へ一度も行かない人は、九州という処をどう想像するだろう。樹木なんぞこんなに細そり、山は円く、入江の多い、こまやかな景色の処と考えるだろうか。私は滑稽なことだが九州というと、線の太い、何処か毛むくじゃらなところがある土地のように思っていたから、自然でも随分思いがけぬ優しさ、明るさにおどろいた。雪の降らない暖国では樹木がこうも、さやさや軽く真直ぐ育つものか。かえりに京都へ寄り、急に思い立って大原へ行った。これはまた、
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