の会」のために力をつくしたいという意味が語られているのである。
文芸懇話会が組織されたのは昭和十一年一月であった。「三年間にやった仕事は相当意義のあったものと信じている」という松本氏の感想は複雑なそれぞれの社会的角度から見ても否定し得ないものを持っている。日本の文学者の一部が、文芸懇話会の成立をめぐって明治文学以来の進歩的伝統をすてた政治的性格をもちはじめたことは、少くとも将来書かるべき日本文学全史の上に、一時期を画した事実なのである。
文芸懇話会は、一千円ずつの文学に対する懇話会賞を与えて来た。何人かの作家がそれを受けたのであり、川端康成氏は、こういう賞のつづけられることを個人的希望として述べておられる。しかし、授賞すべき作品、作家の選定にあたっては、これまでも様々の矛盾を暴露して来た。作品評価の任に当っている懇話会員である作家たちは作品としての価値で、文学の立場から或る作品の優秀性を認めて、実際の投票では最高点を得ているものが、いわゆる左翼に属した作家であるという理由で棄却された実例がある。作家を会員としても、作品の価値判断に最後的決定を下すのは文学でも作家でもない憾《うらみ》
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