ろうと思う。
リオンスの作家観をもってすれば、芸術院へ入ることを正宗白鳥氏がことわったことも、藤村氏が辞退したことも、荷風氏が氏の流儀ではねつけたのも、悉くわけのわからないことになるのである。リオンスによれば「一般に作家というものは、だいいち人間が一般にそうなのだが、信念などよりも、収入の方を大事にするものだ」そうである。孜々《しし》として鼻息をうかがっているものなのだそうであるが、リオンスはそういう皮肉そうな言葉づかいでとりもなおさず自身の事大主義的な性根を暴露しているのである。
そうかと思うと、勝野金政の小説[#「小説」に傍点]がのっており、私はこの小説がどんな意企で、なんのために書かれたか知らないが、やはり感想を動かされた。
今日の社会の事情の裡で、小説にしろ、どういう題材、どういう主題がどの程度にかき得るかということについては、常識が鋭敏にされて来ている。島木健作氏の小説「再建」の作品についての感想はここでのべず、それが発売を禁止されたことは、一般的な問題として当時多くの人々からも不賛成を示された近い一つの事実であった。
「モスクワ」という作品は芸術品として見た場合、芸術
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